無畏山 普門寺


普門寺 史跡
 菱町富士といわれる,標高70m舌状台地に位置し,昭和22年東大人類学部,群大史学部,伊勢崎高校の生徒達によって,縄文式の押型文土器が発見され,翌年大規模の発掘調査が行われ,多数の土器が発掘された.天保14年久方町,天神町の大火により,堂宇殆んど,鳥有に帰し,18世龍道和尚の代に本堂再建(昭和35年),更に昭和52年,普門閣建設,昭和62年19世泰元和尚により観音堂再建,徐々に伽藍が整備された.
 昭和39年桐生だるま市を創祭,坐禅の祖,達磨大和尚の奉賛行事として,近郊より善男善女で1月15日は大変賑わう.さらに由良成繁公奉安の十一面観音(1米座像)は延命長寿,ぽっくり観音として信仰厚く,毎月18日に例祭を行っている.

○観音堂石段由来
 天正3年(1574年)由良成繁公により守護十一面観音が安置された.
 享保18年(1733年)当時の菱村名主蓼沼平兵衛が先祖菩提の発願として法華経千巻を奉納し,その功徳として手造り石段が造られた.
 今日では,八十八米寿石段として多くの信者がお詣りしております.

BACK