大慈山 碧雲寺


 当寺は,桐生市梅田町1丁目,城山入口を300mほどはいったところにある.
 古老の口碑によれば,上野国山田郡梅田村字二渡の戦場(いくさば)という所にありて,月桂庵と名づけ,浅野内匠頭の孫,道観の守本尊である馬頭観音を安置させし庵であるといわれる.
 その後,安蘇郡飛駒村大字入飛駒今倉に移転,月桂山碧雲房となる.現在でも,浅野の姓を称する子孫は戦場という場所に在住している.
 天正12年(1584)栃木の本光寺10世久山舜長大和尚は,飛駒町屋,根古屋城の小野兵部の請に応じて,妙高山永台寺「栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒」へ来化あった.その後,傾聴2年(1597)この地へ飛錫して月桂庵を取りたて,大慈山碧雲寺となる.
 開基は,当地の名主,大川源右衛門であるという.
 当寺は,一旦襄へ堂宇破壊し,見る影もなきありさまとなって,本尊像も風雨にさらされたが,寛永4年(1627)に,第3世徳厳覚道大和尚の来住にて,檀信徒と協力し,本堂を造営し本尊を安置した.また,寺院の備うべきものを設けて,本寺の中興となる.以来開山より今日まで法統連綿としている.
 昭和43年4月,栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒今倉であったが,県境変更により,群馬県桐生市に合併,と同時にダム建設により昭和55年9月,現住所に移転したことにより,第27世諦観悦元和尚は,檀信徒と協力し,仏具等を具備し,本寺の再中興となる.
年中行事としては,正月元日,2日,3日の3日間は,午前12時より大般若理趣分謹読を行い,檀信徒各家,ならびに参拝者の諸の祈願を,9月には施食会等厳修している.
 また,当山の寺宝である馬頭観世音は,浅野家の守り本尊として月桂庵と名づけた当時の仏像であると思われる.
 また,平成6年3月には2米もの大草鞋が奉納された.釈尊涅槃図,大般若経600巻等は,何時の作かは不明である.

 

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