永平寺で焼香師


「たいへん名誉なこと」
永平寺20世鳳仙寺3世 大圓門鶴住職の400回忌法要で
24日檀信徒もバス2台で参列

桐生タイムス.pdf   大圓門鶴の永平寺入院とその活動.pdf   桐生タイムス永平廣録.pdf  facebook.pdf  永平寺山傘

 

 大本山永平寺で鳳仙寺3世こ氷平寺20世住職の400回忌法要が営まれる。通夜の導師を委嘱された坪井住職と、同寺に残る置文、委嘱状(鳳仙寺で)

桐生山鳳仙寺(坪井良廣住職(64)が9月24日、大本山永平寺(福井県永平寺町、福井諦法住職)で行われる20世400回忌の逮夜焼香師をつとめることになった。永平寺20世住職の大圓門鶴は鳳仙寺3世住職で、慶長3(1598)年に永平寺に入ったことが各寺に伝わる文書からわかっている。永平寺から委嘱を受けた坪井住職は「たいへん名誉な
こと。次は100年後でしょうから、檀(だん)信徒のみなさまもバス2台で参列していただくことになりました」と語っている。

 鳳仙寺には門鶴(当時は門廓)が慶長2年にしたためた「置文」が残っている。寺領を紹かく記した上で最後に「拙僧永平寺へ参り侯間、このごとく書きおくものなり」とある。
「永平寺史」にも「門鶴の永平寺入院とその活動」の項があり、この置文が紹介されている。
 同書によると、当時一向一揆によって焼失した永平寺の運営は、関東の諸寺院の力によって支えられていた。次の住職は関東の長老を迎えることにし、領主も承知、鳳仙寺の住職が赴くことになったのだ。
 門鶴は慶長3年には住職し、まず手がけたのが開祖道元禅師の語録「水平廣録」の書写だった。10巻10冊で、現存する中では最古のもの
だという。さらに慶長7年には道元禅師の350年忌を迎える。山門の再建も門鶴の仕事となったが、同年に死去した徳川四天王の一人、井伊直政の葬儀のため、30人の僧とともに近江に出向き、21日間滞在して法要を行った。その布施も再建費用にあてられたという。江戸開府はその翌年だ。


 参拝は早朝出発25日に帰桐予定

 鳳仙寺は豊かな自然の中に法灯を守り、現住職は35世。大本山水平寺での逮夜導師は200人近い僧侶が居並ぶ中での大役で、「進退法を勉強しなければ」とほほ笑む。団体参拝は9月24日早朝に出発し翌日帰桐。問い合わせは同寺(電32-1177)へ。

 

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