桐生山鳳仙寺
梅花流詠讃歌

 

梅花流詠讃歌

 施餓鬼会、三尺坊大祭など、鳳仙寺の大法要の際には、必ず美しい鈴の音色に和して、すばらしい詠讃歌が詠唱され、参列された善男善女の信仰の心をより清らかなものにしてくれます。

 あの詠讃歌は『梅花流詠讃歌』といいます。梅花流詠讃歌は、詠唱を通して、広く宗門の教えを伝え、味わい、信仰心を深めようとの主旨にのっとって発足したものです。

 梅花流の名称は、道元、瑩山両祖大師が、こよなく梅花を愛でられたことに由来しています。この「梅花」の語は、釈尊から代々受け継がれてきた正伝の仏法、正法そのものを表現したものと言えましょう。梅花流詠讃歌は、仏祖を讚仰する仏教聖歌なのです。したがって、詠讃歌を至心に奉詠することは、それが、そのまま仏道修行になるわけです。(『梅花にまなぶ』より引用) このありがたい詠讃歌を多くの方に理解していただき、一人でも多くの方に詠唱していただくことを念じながら、ここに、その歌詞をまとめてみました。(内容理解をさらに深めたいという方は、別冊の「梅花にまなぶ」をご覧ください。)


三宝御和讃 心の闇を 照らします
  いとも尊き み仏の
  誓願(ちかい)をねごう ものはみな
  南無帰依仏と 唱えよや
   
 憂き世の波を 乗り越えて
  浄(きよ)きめぐみに ゆく法(のり)の
  船に棹(さお)さす ものはみな
  南無帰依法と 唱えよや
   
 悟りの岸に わたるべき
  道を伝えし もろもろの
  聖者(ひじり)に頼る ものはみな
  南無帰依僧と 唱えよや
 

 
正法御和讃  花のあしたに 片頬笑(かたほえ)み
  雪の夕べに 臂(ひじ)を断ち
  代々に伝(つと)うる 道はしも
  余処(よそ)に比類(たぐい)は 荒磯の
  波も得よせぬ 高岩(たかいわ)に
  かきもつくべき 法(のり)ならばこそ
 

 
修証義御和讃 ふりにし世々の 罪咎(つみとが)は
  深雪(みゆき)のごとく ふかくとも
  悔ゆる心の 朝日には
  消えて跡なく なりぬべし
   
 三世(みよ)の仏の み掟(おきて)を
  正(まさ)しく受けて 疑わぬ
  人はそのまま 仏なり
  我が身ながらに 尊しや
   
 我は仏に ならずとも
  生きとし生ける ものみなを
  もらさず救い たすけんと
  誓うこころぞ 仏なる
   
 朝な夕なに 人みなの
  身のほどほどに する業(わざ)を
  仏の深き 御恩(みめぐみ)に
  報(むく)い奉(まつ)るぞ たのしけれ
 

 
坐禅御詠歌(浄心)濁りなき 心の水に すむ月は
  波も砕けて 光とぞなる
  光とぞなる
 

 

大聖釈迦牟尼如来御詠歌

(紫雲)草の庵(いお)に
  寝ても醒(さ)めても 申すこと
  南無釈迦牟尼仏 あわれみたまえ
  南無大恩教主 南無釈迦如来
 

 
高祖承陽大師御詠歌(紫雲替歌)

うちまかせ

  心も身をも 永平寺
  浮世の塵(ちり)は あとかたもなし
  南無承陽(じょうよう)大師
  南無承陽大師
 

 

太祖常済大師御詠歌

(紫雲替節)ひたすらに
  かける願いは あらたかや
  玉の台(うてな)に 紫の雲
  南無常済(じょうさい)大師
  南無常済大師
 

 

高祖承陽大師第一番御詠歌

(梅花)荒磯の 波も得よせぬ高岩に
  かきもつくべき 法(のり)ならばこそ
 

 

高祖承陽大師第二番御詠歌

(梅花替節)水鳥の 往(ゆ)くも帰るも 跡絶えて
  されども 道は 忘れざりけり
 

 

太祖常済大師第一番御詠歌

(梅花替節)ことしより 八幡(やわた)の神のあらわれて
  我がたつ杣(そま)の 守(まほ)となるかな
 

 

太祖常済大師第二番御詠歌

(梅花替節)われ棲(す)むと
  那坂(なさか)の山も 踏み平(な)らし
  苔のしたきて 人ぞ訪(と)い来る
 

 

大本山永平寺第一番御詠歌

(渓声)峰の色 渓(たに)の響きも みなながら
  わが 釈迦牟尼の 声と姿と
 

 

大本山総持寺第一番御詠歌

(渓声替節)ひたすらに かける願いは あらたかや
  玉の台(うてな)に 紫の雲
 

 

釈尊花祭御和讃

 三千年(みちとせ)昔 ルンビニの
  花の 御園(みその)に 生(あ)れましし
  玉の王子は 人の世の
  救いの 御親(みおや)と なりたもう
 

 

釈尊花祭第一番御詠歌

(歓喜)あなうれし 花の御園(みその)に みほとけの
  生(あ)れし良き日ぞ 讚(たた)えまつらん
 

 

大聖釈迦如来成道御和讃

 師走の八日(ようか) 朝まだき
  菩提の葉風 爽やかに
  心の闇を 払われし
  目覚(めざめ)の主(ぬし)の 釈迦世尊(せそん)
 

 

大聖釈迦如来成道御詠歌

(明星)明けの星 仰ぐ心は 人の世の
  光となりて 天地(あめつち)にみつ
 

 

大聖釈迦如来涅槃御和讃

 拘尸那(くしな)のほとり 風おちて
  流れはむせぶ 如月(きさらぎ)の
  望(もち)の月影 きよけれど
  儚(はかな)く雲に かげりゆく
 

 

大聖釈迦如来涅槃御詠歌

(不滅)ひとたびは 涅槃(ねはん)の雲に いりぬとも
  月はまどかに 世を照らすなり
  世を照らすなり
 

 

観世音菩薩御和讃

 お慈悲の眼(まなこ) あたたかく
  まどかに智恵は 満ちわたる
  この世の母の おん姿
  南無や 大悲の観世音
 

 

観世音菩薩御詠歌

(慈光)たのもしな あまねき法(のり)の光には
  人の心の やみものこらじ
 

 

地蔵菩薩御和讃

露霜(つゆしも)しげき 野の路(みち)に
  ほほえむ姿 あたたかく
  御寺(みてら)の門の あるところ
  笑顔明るく おわします
   
 父をば慕い 母を恋い
  切(せつ)なき声に 尋(たず)ねゆく
  幼き児(こ)らを ひきよせて
  つつむ法衣(ころも)の 慈悲の袖
 

 

地蔵菩薩御詠歌

(慈念)たらちねの み親のもとに いる児(こ)らは
  御名(みな)を唱(との)うる
  声ばかりなり
 

 

達磨大師御和讃

 降りつむ深雪(みゆき)は 幾尺か
  左の臂(ひじ)を 断(た)ちはなし
  まことを示せし 法(のり)の庭
  求法(ぐほう)の慧可(えか)を 受けとめて
  仏心印(ぶっしんいん)を 伝えましけり
 

 

高祖承陽大師誕生御和讃

 正治(しょうじ)の二年 初春の
  都の空は 澄みわたり
  瑞気(ずいき)たなびく めでたさに
  生まれたまいし 承陽尊(じょうようそん)
 

 

太祖常済大師誕生御和讃

 此処(ここ)は 首都(みやこ)の西の方(かた)
  松の緑の 色深き
  鶴見ケ丘の 御本山
  開きたまいし 大禅師(だいぜんじ)
 

 

高祖承陽大師入寂御和讚

  
帰命頂礼(きみょうちょうらい) 承陽尊建長五年の 秋なかば
  御年 五十四(ごじゅうし)歳にて
  入寂(かくれ)たまいし 悲しさよ
 

 

太祖常済大師入寂御和讚

  
御年 五十八の秋 数多(あまた)の御弟子(みでし)に かしずかれ
  いまわの教え 説かれつつ
  あわれ この世を 去りたもう
 

 

高祖承陽大師讃仰御詠歌

(法灯)世を照らし 人をば照らし 永劫(とこしえ)に
  輝きわたる 法(のり)の灯(ともしび)
 

 

太祖常済大師讃仰御詠歌

(法灯)常永久(とことわ)に
  人を済(わた)して 今もなお
  大師の慈悲は 世を照らすなり
 

 

無常御詠歌

(月影)世の中は
  何にたとえん 水鳥の
  嘴(はし)振る露に 宿る月影
 

 

追善供養御詠歌

(妙鐘)うちならす
  鐘のひびきは そのままに
  三世(みよ)の仏の み声なるらん
 

 

彼岸御詠歌

(香華)親も子も 仏の道に 変わりなし
  生きて彼岸を 迎うしあわせ
  迎う しあわせ
 

 

開山忌御詠歌

(真水)湧き出(い)ずる
  その源(みなもと)の 深きほど
  法(のり)の真(ま)清水 ゆたかなるらむ
 

 

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