開山は牛室香磨和尚

 正保二年(一六四五)に、英元の旧領・堀口村から祥雲寺が当地に移されたときに、開山に勧請されたのが牛室香◆和尚でした。
 香◆和尚は、祥雲寺を当地に移された二代目住職・風山大春和尚のお師匠さんでしたが、 すでにこのときは入寂(亡くなること)されていました。
 その方をあえて開山さまに迎えたのは、「末寺を開創するときの開山は、本寺から招聘する」という宗門の定めによることと、開創を祖父・英元公が堂宇を建立した慶長三年(一五九八)にさかのぼらせ、開基さまに迎えたこととともに、大春和尚の強い師匠敬慕の念などが、もろもろに絡み合ってのことと推測することができます。
 ところで開山さま・香◆和尚とは・・・ その人となりをみてみましょう。
 二代目住職・大春和尚の師  香◆和尚は新田郡西金井村の産であるということが、「高橋四家并祥雲寺仝五家之五行人」に示されており、また大春和尚が仏門に入ったときは、広沢山大雄院の第二代住職であったことが「大雄院歴代住職記録」に見られます。しかし、大雄院が過去に何らかの大きな災害に見舞われたことがあったようで、寺に古文書、諸記録いっさいが残されていません。また祥雲寺も天明八年(一七八八)の火災ですべての資料を焼失してしまっているために、これまた開山さまの様子を知る手がかりが残されていません。そのため、開山さまがどんな人柄で、どのような事績をのこしておられるのか、いつ入寂されたのかなど、まったく不明です。
 開基さまの様子がかなり詳しく伝えられているのにくらべて、開山さまの様子があまりにも不明なのは残念ですが、いたしかたありません。開山さまは、祥雲寺二代目住職・大春和尚の仏門の師匠だったことのみを掲げておきます。
 墓は、本堂裏の歴代住職廟所内に在ります。

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