堀 口 村 ・ 昌 雲 寺
祥雲寺の元寺は、堀口村(現在の伊勢崎市堀口町)の昌雲寺です。この昌雲寺について触れてみましょう。
瑞龍山祥雲寺は、高橋丹波守橘英元の旧領、 堀口村の正雲寺を移築し、「正」
の一字を「祥」に変えて祥雲寺とした。 と、桐生市史にありますが、旧堀口村(伊勢崎市堀口町)を訪問しましたところ、その地に正雲寺は存在していませんでした。
存在していたのは「昌雲寺」でした。
昌雲寺の住職に寺の由来を問い合わせてみましたら、
「当寺は昔から昌雲寺であり、正雲寺の名称を使用したことはない。当寺は明治の初めに火災に遭い伽藍が焼失。同時に古文書等も、そのときに焼失してしまったため、高橋丹波守という御仁が、当寺とどのような関係にあったかは、まったく分からない。むかし、近くに正雲寺という寺院が在ったということも耳にしていない。」という回答でした。
市史の記録「正雲寺」が一字誤りであって、「昌雲寺」が大春和尚の境野村移築の寺だったと仮定した上で、次に昌雲寺の歴史を伊勢崎市史から転記してみることにします。
(昌雲寺は)弘治元年(一五五五)から慶長六年(一六〇一)までの間に、廃寺となっていた蓮光寺の資材等を使って、現在地へ創建したものと思われる。耕地整理前の字図を見ると、東から蓮光寺、字寺東、昌雲寺、字城跡と並んで近くにあった。寺伝にいう天文の末年(十六世紀の中頃)に法燈光園が開山したという説は肯定できる。
光園が武蔵国人見(現在の埼玉県深谷市人見)の昌福寺六世であり、同寺は上杉房憲の開基になる寺(近世、昌雲寺は昌福寺の末寺)であるところからして、その一族もしくは家臣によって建てられたものと思われる。
|